タヌキです。伊藤洋志さんが書かれた「ナリワイをつくる 人生を盗まれない働き方」を今読んでいる最中なのですが、これが面白い。「年収90万円で東京ハッピーライフ」でも触れましたが、消費社会に根付いた価値観を転換することで見えてくるものって沢山あるよねー系な一冊。こちらはライフスタイルだけでなく仕事も自分たちで作っちゃおう、と一歩踏み込んだ本です。

ナリワイとは、生活の充実から仕事を生み出す手法である。
作戦としては、守りを固めてから攻めるのが、基本である。どういうことかというと、何よりもまず、支出をコントロールし、無駄な支出を減らす。支出を減らすことで、むしろ生活が豊かになるような工夫を考えて減らす。さらに、もしものときには月3万円程度の収入でも暮らしていけるような生活場所を見つけて、非常時にはそこに動ける態勢を用意しておく。つまらん支出を見つけてはカットするという生活をしていると、世の中にある大規模な事業に対して矛盾を見つける感覚が磨かれていく。矛盾を見つけたら、その原因はだいたい専業で株式会社的に行っていることにあるから、専業ではない立場ならではの本質的に中身のあるサービスを提示していく
喩えて言うなら、森の人のような生活だ。

伊藤洋志. ナリワイをつくる 人生を盗まれない働き方 (Kindle の位置No.172-178). . Kindle 版.

なるほど、といった内容です。"普通"の価値観とは真逆の発想。お金をつぎ込むこと=幸せになることではない。「消費」というがんじがらめのシステムから脱却し、機動性を高めておく。自由になったぶん、自分が「生産」側に回る隙を作っておく。サービスの提示は出来てもお金に結びつけることには心理的、時には法律的なハードルがあるかもしれませんが、この発想そのものが非常に重要なのでしょうね。今書きながら思いついちゃったんですけど、

・珈琲豆を焙煎し、それを知人にお裾分けする
・ベランダで取れた野菜やハーブをお裾分けする
・知人を家に呼んで、ご飯をごちそうする

「お裾分け」するだけで、こういった生き方を始められるよなーと。「お裾分け」ってやろうと思えば簡単にできちゃう、と思いきや、これがなかなか出来ないんですよね。第一にお裾分けする相手が居ない、第二に損得勘定で考えてお裾分けしなくなる、第三に、人にあげる水準のモノを作れない、という思い込み。第三の壁は消費社会の罠ですわな。「人生を盗まれる」感覚ってこれだよなーって思いました。何か始めなきゃいつまでたっても水準が上がっていかにゃい。

無駄な支出を減らすこと、って改めて大事だなーって気づいたところで、

街のカフェを書斎、銭湯をお風呂、公立の庭園の木陰を庭、神社やお寺は瞑想室、友人のシェアハウスの台所をキッチンと見立てて、自宅は寝室だけの小さなアパートにする、というのもありえる。銭湯なんかは都内ならどこでもある。これなどはまさにクラウド的である。

伊藤洋志.ナリワイをつくる人生を盗まれない働き方(Kindleの位置No.809-812)..Kindle版.

なるほど、銭湯の近くに住むって手があったか、と新たな気づき。風呂トイレ別のセパレートは最低限でしょ!って思っていたけど、風呂が無くてもよく考えればどうにかなる。それで家賃が3万円下がれば毎日銭湯に通っても元は十分とれるはず…嫁は反対するでしょうけど。寝るところ意外最悪なくてもいけるんじゃね?ってのはその通りだと思います。僕はカフェよりお家派なので書斎は必要だけど、デカい部屋は要らない。音楽が好きなので良いスピーカーは置いときたいけど、テレビは要らない。結構要らないもの、多いですよね。冷静に考えれば要らない。

まあサービスを外注するか内製するか、って話ですけど、便利な都会に住んでも内製したいものって多いんですよね。それが家の肥大化を生む要因。内製する時は「だってそっちの方が安上がりじゃん!」とか思うわけ。ウォーキングマシンとか、珈琲メーカーとか。確かに、ジムに通うお金も時間も節約できるかもしれない。でもそれが「生産」に使えるもものじゃないと、基本的に無駄なんだろうね、って思いました。最初から消費社会基準で考えちゃってるから、内製化しても消費社会を家の中に持ち込んでいるようなものなんですよね。内製する時は、それが「何かを生み出すモノ」じゃないと買わない、みたいな基準を設けたほうがいいかも。

読み進めるとどんどん妄想が膨らんでいきます…早く全部読も。

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