僕が知っている「東京」で一番ステキな空間。それが城南島だ。

じょうなんじま。首都圏にお住まいの方でも初耳の方が多いと思う。東京都大田区にあるこの島は、京浜東北線「大森」駅からバスに乗ること30分で行けちゃう人工島だ。羽田空港は海を挟んで目と鼻の先にある。

小学生の時だったと思う。

家族で行った墓参りの後で、家族に連れられて来たのが最初の「上陸」だった。

「当時付き合っていた彼とよくデートに来ていたの。その人は商社マンだったけど、イタリアで死んでしまった。チェルノブイリの影響もあったと思うんだけど。もしあの人と結婚していたら、あなたは産まれてなかったかもね」

と、何気なく母は言った。子育てに苛立ちをおぼえた母の作り話かと思った。

後年、高校生になった僕は母に連れられて、無くなったその人の墓に行くことになる。本当の話だった。

小さかった僕は若かった母のデートコースを、他にもいくつか教えてもらった。人の居ない公園や、物静かな喫茶店。オシャレなのにどこか寂しさの影がある空間が多かった。影響したんだと思う、自分もそんな空間が好きになってしまった。

城南島には中学生の時から毎年2〜3回は来ている。29歳になった今年は既に3回。

好きすぎて、城南島に隣接する東京港臨海トンネルと東京ゲートブリッジを経由して通勤が可能な葛西臨海公園に住んだこともある。「毎日、いつでも、城南島に行けること」、これ以上の幸せは無いと言っても過言ではないくらい、好き。

とはいえ、住んでみると立ち寄ることはほとんど無くなった。彼女と猫が家で待っていると思うと立ち寄る気持ちになれず、通り過ぎる毎日だった。

結婚する前に、デートに来たことがある。たった一度きりだったけど。前妻はこの場所があまり好きではなかった。どちらかと言えば、普通の観光地のほうが好きだった。寂しさの穴を埋めるために寂しい場所を好む人間は少数派かもしれない。

夜だった。帰り道、大きな火球を見た。流れ星よりずっとずっと大きな火の玉。オレンジに光る玉は青白いラインを描きながら1秒間くらい流れ、音もなく3つに割れ、消えた。場所が場所だけに飛行機事故かと思ったが、違っていた。

世の中には流れ星や火球の専門コミュニティーが存在する。そこでの情報によると、遠く離れた新潟でも観測されたようだ。夜空に目立ったはずだが、誰も動画を撮っていなかったのだろう。ニュースにはならなかった。

高校2年生の時は、修学旅行で沖縄から帰ってきた次の日に、城南島に行った。もちろん一人で。彼女も居なかったし。

飛び立つ飛行機の、1つ1つの窓から漏れる光。誰が乗っているのかを想像すると、一人ひとりのストーリーを感じることが出来た。ワクワクしている旅行者もいるだろうし、東京出張から帰る疲れたサラリーマンもいるだろう。いろんな人の、いろんな人生を想像しながら飛行機を眺めることは、幸せなことだった。

この島にいる間は、自分を忘れることが出来た。

初日の出を見るために来たこともある。大学4年生の時だったと思う。新宿あたりからひたすら歩いて城南島に向かった。

大晦日の東京は、ビルというビルから灯りが消えていた。車も走っていなかった。世界が止まっているようだった。普段は目を半分くらい閉じてしまうような眩しい世界は、不安になるほどに暗かった。

   

そんな日でも城南島は違っていた。幾台ものトラックがいつものように走っていた。

コンビニに入ると、1月1日であることを告げる深夜のお笑い番組を見ながら、どん兵衛を食べるドライバーが、何人も居た。一緒にカップ麺をすすった。

島に着いたはいいが、あまりの寒さに耐えられず、死にそうだった。車で見に来ている人が羨ましかった。恨んでしまいそうなくらいに。

凍えながら見た初日の出はもちろん綺麗だった。麻痺した皮膚感覚と、寝不足が引き起こす軽い吐き気と共に、家路についた。

雪の日に来たこともあった。

中学3年生の頃だったと思う。その頃はまだ、大森駅から島に向かうバスの存在を知らなかった。僕らは駅から歩いて向かった。2時間かけて着いた島から、飛行機はもちろん見えなかった。一面白く、海は限りなく黒に近いグレー、そして空は灰色だった。同行した友人からは顰蹙を買った。

吹雪の中でも飛行機は飛んでいた。音で分かった。轟音の鳴る方に空を見上げる。でも何も見えない。また飛んだ。空を見上げる、何も見えない。

そんなことを繰り返していたその時、巨大な、それはそれは巨大な機影が空に映った。度肝を抜くような巨大な黒い影が、一瞬。

飛行機の上からあたった太陽光が、雪だか雲だかに映し出した影だった。飛行機のシルエット。絵文字のようなモノクロの巨大なシルエットが動いて、消えた。

友人とそれを見て奇声にも似た歓声をあげ、そのあとしばらく黙った。手に持っていた温かいはずのコーンスープ缶は一瞬で冷えていた。もう一缶買ったが、すぐに冷めたのを覚えている。僕たちはまた、震えながら2時間かけて帰った。

そして一昨日。

昔一緒に働いていた仲間と訪れた。もちろんバスで。彼は英語が得意で、旅好きの学生だ。彼は今までの旅の話と、来年行く予定のキューバについて熱く語り、出不精の僕に旅の魅力をこれでもかと話した。糠に釘、暖簾に腕押し、豆腐にフォーク、娼婦にED、違うか。

タバコは美味しかった。アメリカンスピリットのオーガニック・ミント。

学生が吸ってる赤のマルボロさえも美味しく感じるほど地球が丸く感じられ、空は広かった。

日が暮れてきて、僕はやりたいことを思い出した。いつかやろうと思っていたこと。

2人が1台ずつスマートフォンを持っている。僕は航空管制無線を流し、学生はフライトレーダーを画面に映した。

管制官が英語で指示すると、木更津方面から飛来する飛行機は高度を下げた。滑走路の進入口を番号で案内する管制官。復唱するパイロット。僕らは空を見あげて一喜一憂した。英語好きの学生は、無線から流れる2人の会話を得意げに日本語に翻訳した。僕はそれを聴きながらワンテンポ遅れて感心した。

ヘヴィートラフィックを120mの管制塔からさばいている航空管制官の姿を想像する。冷静に、的確に、早口の和製英語で指示が発せられる。

プロトコルに則って発せられる言葉の中に、突然日本語が交じった。

「お疲れ様です」

女性管制官の声だ。すぐに流暢な和製英語に切り替わり、伝えるべきインフォメーションを的確なスピードで、冷静に伝えた。

何気ない挨拶なのかもしれない。わざわざ日本語で話すなんて、もしや、何らかのトラブルで出発が遅れている便に対する労いだったのかもしれない。

さらに想像する。2人は知り合いなのかもしれない。ひょっとして、航空管制官は恋をしているのかもしれない。無線に乗っかった声は、ドキッとする程に美しかった。

そんなことを考えていたら、19時を回っていた。今日も帰る時間。

城南島には、巨大な物流施設やコンテナの留置場、研究開発施設等、地の利を活かした施設が点在している。

でもそれだけではない。

汚泥や汚染土壌の処理施設、廃棄物処理施設、動物愛護センター。

23区内ではあまり見かけない施設も点在している。どれも必要なものばかりだが、人の目に触れることはない。城南島に来ない限り。

僕はこの島から見える、羽田の夜景、そして東京の夜景が好きだ。

東京の暗部を背負ったこの島から見る東京の輝きは、筆舌に尽くしがたいものがある。

たぶん、自分の足腰と頭がしっかりしている限り、通い続けるんだと思う。そして知人に紹介し続けると思う。やったからって何があるわけでもないんだけど。

誰か、僕を城南島親善大使に任命してくれないかな。観光振興なんて必要もないこの場所でそんな仕事をやれたらどんなに幸せだろうか。

東京で一番ステキな空間。本当にそう思っている。

僕ほど城南島を愛している人はいない…と思いたい。いたら、ごめんなさい。

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事