SONY一社提供だったTBSの「世界遺産」がまだ深夜に放送されていた頃、小学生だった僕は衝撃的なCMを目にした。(どういうわけか、webを漁っても見つからない)

「ヴァイオ」

女性のナレーションから始まるその30秒CMは、青白い無機質で近未来的な内装の部屋に置かれた薄型テレビのVEGA(BRAVIAの前身)が映し出されるところから始まる。

バックに流れる曲はUnderworldのTwo Months Off。だから、とりあえずこの曲を聞きながら読み進めてほしい。

CMの続き。

薄型テレビのVEGAで撮りためた映像を、ソファにゆったりと腰掛けながら楽しむ、若い男性が映し出される。ニコニコしながら上を見上げ、幸せそうに呟く。

「アイム ヴァイオ」

シーンが切り替わる。ネットワークMDウォークマンを手に持ちながら、イヤフォンで音楽を聞き、にこやかに踊る女性が映し出される。そして叫ぶ。

「アイム ヴァイオ!」

そして最後に、部屋の壁の向こう側(CM上の演出で、カメラが壁の向こう側にスーッと移動する)が映し出される。

そこにはデスクトップ型PCの、VAIO HSが置いてある。

「バイオはもう、ホームサーバー。」

少し冷たい声の女性ナレーションが入り、SONYのロゴが表示され、CMは終わる。

ーーーー

VAIO HSは、2002〜2003年にかけて生産・販売された商品だ。

2002年は、スマートフォンという概念が登場する5年も前で、誰もが携帯電話やPHSを使っていた時代。音楽はテーブからMD全盛期へ。TSUTAYAを始めとするレンタルCDショップで借りて、MDコンポでダビングして音楽を聞くのが当たり前の時代だった。ヒットチャートにはGLAYがいてミスチルがいて氷川きよしがいてミニモニがいて小田和正がいた。テレビは地上波デジタル放送が始まる前。録画はハードディスクなんてまだ普及していなくて、大多数の人はビデオかDVDを使っていた。

小学生だった僕はこのCMを見て、「SONYかっけぇ…」って素直に思った。ブランドに価値を感じた、はじめての体験だったのかもしれない。

しかくいブラウン管テレビを通してCMを眺めていた小学生にVEGAの映像品質の良し悪しなんて分かるはずもなかった。ネットワークMDウォークマンの何が”ネットワーク”なのかも分からなかった。そしてVAIOが、我が家に置いてあったNECのバリュースターと何が違うのか、まるで分からなかった。でも、僕の住む日常にないスマートさがあり、自由があり、なによりも未来的に僕には見えた。重力が半減されたような、ふわっとした世界。

世界遺産を寝転びながら見ていた父と、つまみを食べながら見ていた母のいるリビングとは、あまりにかけ離れた非日常がCMのなかに演出されていた。同じ時空に、こんなにも異なる世界があることに、そして父も母もそのCMを見て、なんの関心も示さなかった(ように僕には見えた)ことに衝撃を受けていた。それくらい、CMの作り込まれた世界観に僕は引き込まれていた。

ハードディスクを持つPCで映像も音楽も一元管理し、テレビやウォークマンで楽しめるようにする、というSONYの作りたかった(そこにあるはずの)"未来"は、数年経っても、僕たち日本人のスタンダードにはならなかった。あいかわらずテレビはテレビ、音楽はMDコンポで楽しんでいた。我が家のテレビは日立製だったし、ウォークマンはパナソニック製だった。それなりにきれいな映像が流れ、それなりによい音がイヤフォンから流れていた。PCと繋がる世界なんて、必要なかった。

それはいつまでも"未来"でよかった。PCでメディアを一元管理することは、一元管理することでしかなく、僕らはその先にある未来を想像することができなかったのだから。

ーーーー

未来は突然、海の向こう側からやってきた。

SONYが見据えていた未来は、おおよそりんごのマークの会社が実現することになった。

CMの数年後に若者たちが手にしていたものは、iPodだった。

2007年の秋、高校2年の沖縄旅行。前から欲しいと思っていたそれを、勢い余って家電量販店で衝動買いした。PCを持たない高校生がiPodを持ったところで何の曲も聴けないのだが、そんなことは関係なかった。iPodは持っているだけで革新的で、使っているやつらはハイソサエティな人間だと勘違いしていた僕は、とにかくそれが欲しかったのだ。

思いつきの買い物をしたために一文無しになった僕は、どこかに出かける金を失い、じっとしていなければならなくなった。友人が持参したノートPCに入っていた唯一の曲、井上陽水のベストアルバムをiPodに同期し、ロビーで売っていた村上春樹の小説を読みながら太陽に当たらない4泊5日をホテルで過ごした。

PCとガジェットを接続させることが当たり前の今では考えられないことだが、iPodから曲が流れること自体、とても新鮮な体験だった。感覚器官を震わす装置がPCと繋がって生命を吹き込まれる感覚。プレイリストをその場で作り、好きな曲を好きなだけ聴ける幸せ。簡単な映像なら、iPod上でも見ることが出来た。CMを見てから5年の歳月が過ぎていた。

ーーーー

あの時の衝撃が忘れられなくて、未だに思い出す。

SONYが描いていた画面越しの世界は、なぜ僕らの側に来なかったんだろう。そしてなぜ、Appleにはそれができたんだろう、って。先にSONYに見えていたはずなのに。技術もあったはずなのに。

あのCMのなかで、VEGAで録りためた映像を楽しみ、ネットワークMDウォークマンで音楽に酔いしれていた人達は、今もどこかで同じような生活を送っているんじゃなかろうか、と空想する。Appleの存在しない、僕らとは別のパラレルワールドで。

そこには、青白く無機質な、どこまでも近未来にある、手の届かない世界が広がっていて、でもそれは永遠にやってくることのない、再現されない過去なのだ。

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事